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豚の角煮だよ全員集合

豚の角煮好きのたわいもない話です。

NYC

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NYC

ぼくがはじめてNYに訪れたのは
九十年代半ばの夏のおわりで、
インディアンサマーのおかげで暖かかった。

二週間ちかくはいただろうか。
やはりハウスの本場とあって、
しらべては夜な夜なクラブにあしを運んだ。
印象に残っているのは〈Sound Factory Bar〉というクラブ。
泊まっていた 〈チェルシー・ホテル〉から数ブロック北にあったと記憶している。
ちなみに、大バコで有名だった〈Sound Factory〉はまたべつの店。
〈?Bar〉のほうは、どちらかというとやや小さめのハコだったが、
毎週水曜日はリトル・ルーイ・ヴェガ率いるパーティー『Underground Network』
、金曜日にはフランキー・ナックルスと、好きモノにとっては豪華な内容だった。
とにかく音がものすごく良いんですね。
ハウスなのにトンガっているというよりかは、
まるでレゲェとかダブのように腹部にやわらかくズシーンとくる感じで、
あれにはちょっと感動した。
それに、ルーイ・ヴェガは
日本で回すときより余裕な雰囲気のなかでより華やかだったし、
逆にフランキーはひたすらたんたんとシブく攻めまくっていたのがよかった。
もっとも、そのときNYでいちばんの目的は、
ホイットニー美術館でおこなわれた写真家、
ナン・ゴールディンの回顧展オープニング・レセプションに出席するためだった。
ナンには「せっかくだから」と前半の数日間は
〈チェルシー・ホテル〉に泊まることを勧められ、
手配も彼女のほうでしてくれた。
宿泊中、ロビー手前のラウンジ、というか、窓とソファのある談話スペースみたいなところでパティ・スミスを見かけた。
さらにはレセプションにはルー・リードの顔もあった。
これは展覧会のタイトルがヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲名
("I'll Be Your Mirror")を使っているからだが、
いずれにしても、クラブに限らずさすがNYだナ、と気持ちをおどらせた。
そのオープニング・レセプションにはものすごい数の人が集まって、
エントランスのホールには人で埋め尽くされていた。
でも、そんなことはお構いなし、
というか手慣れたニューヨーカーたちは、
とにかく立ったままとなりの人とひたすら喋るのが大好きらしい。
そんな光景を一階ぶん上のフロアから見下ろすと、
圧倒的無数の声のかたまりが耳奥に響き渡って頭がクラクラしたのを憶えている。
レセプションがおわった翌日だか翌々日にはナンは
友人らとヨーロッパへ旅立ち、
ぼくは残りの数日間は空いている彼女のアパートに泊まらせてもらった。
ミッドタウンに位置するそのアパートはまだ引っ越したばかりで、
ひろい部屋には必要最低限の家具と生活用品しかなかった。
真新しいスポーティーな自転車がリビングの壁に立てかけてあったが、
はたして体格のよい彼女がこれに乗るのかしら、
と不思議だったが、そんなことよりも、
テーブルのうえにはホイットニー美術館の間取りを見立てた
ホワイトボードによる模型が置いてあり、

ちいさくカラーコピーされた彼女の作品が貼られていた。

展示の構成をこれで綿密に考えていたのだろう。

南西の窓のさきにはいまはなきWTCがクッキリと見えたのが印象に残っている。
(その窓からの風景はぼくも写真を撮った記憶がある。
探して見つかればいずれHPにアップしようとおもう)
ちなみに、ナンのアパートには日本から来ていたKeeも一緒だった。
現在、彼はモデル、役者として活躍している。
ぼくの写真家デビューはナン・ゴールディンという存在が大きかったが、
Keeもまた、もとはといえばナンが来日中、
地下鉄でまだ無名だった彼を見かけて、
どうしても撮りたいと声をかけたのが後に
デビューするキッカケになったのである。
ところで、〈Sound Factory Bar〉はぼくが訪れたあと、
しばらくしてクローズしたはずである。
その後NYに行く際にはかならず伝説的な『Body&Soul』と
『Shelter』に通っていたが、はじめてNYでのクラブという意味では
〈Sound Factory Bar〉がいちばんの思い出深い場所になっている。
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